教科書どおりの方法を、丁寧に使った。それなのに、目の前のその人には、どうもうまくいかない。方法が間違っているのだろうか。それとも、自分の腕が足りないのだろうか。心理支援の仕事をしていると、こうした場面に出会う方は多いと思います。
そんなとき、立ち戻る手がかりになる考え方が、哲学者の中村雄二郎が提案した臨床の知です。この記事では、臨床の知とは何かを、科学の知との違い、三つの原理、記録の書き換えの例、取り違えやすい点の順に整理します。
臨床の知とは何か
臨床の知は、中村雄二郎が1992年の『臨床の知とは何か』(岩波新書)で示した考え方です。近代科学がもたらした「科学の知」と対比して、個々の場合や場所を重視し、深いところにある現実にかかわり、世界や他者が示す隠された意味を、相互行為(人と人とのやりとり)のなかで読み取る知として説明されています。
ここで大切なのは、これが科学を否定する言葉ではないことです。中村の提案は、科学の知が結果として排除してしまった現実の側面を、別の原理で捉えなおそう、というものでした。『心理臨床大事典 改訂版』(培風館)にも、科学研究と臨床の関係を論じる項で、この定義が引かれています。
科学の知と臨床の知:三つの原理を対にして比べる
中村は、科学の知を三つの原理で特徴づけ、それぞれに対になる臨床の知の原理を立てました。名前だけ並べると難しく見えるので、「場所」「意味」「行為」の三つに分けて比べてみます。
| 見るところ | 科学の知 | 臨床の知 |
|---|---|---|
| 場所 | 普遍主義:どこでも同じに成り立つ、均質な空間を前提にする | コスモロジー:この面接室、この家、この職場を、意味をもった固有の場所と見る |
| 意味 | 論理主義:一つの原因に一つの結果、という説明をする | シンボリズム:同じ出来事を一つの意味に決めず、多義的に捉える |
| 行為 | 客観主義:見る側と見られる側を切り離して、観察し、操作する | パフォーマンス:相手の働きかけを身に受けながら行為する |
カタカナは身構えてしまいますが、中村自身も、日本語にしにくい語だと断ったうえで、本の最初のほうでは言いなおしています。コスモロジーは「固有世界」、シンボリズムは「事物の多義性」、パフォーマンスは「身体性をそなえた行為」です。こう言いかえると、現場の言葉にぐっと近づくのではないでしょうか。
意味を読むとは、どういうことか
意味を読む、と言われても、観察していれば分かるものではありません。科学の知は、見えている事実を正確に集めます。頻度、日付、経過。それ自体は大切な仕事です。そのうえで臨床の知が扱うのは、その下にある隠された意味です。その出来事が、その人にとって何だったのか。そして、支援者との間で、いま何が起きているのか。
中村は、この意味を相互行為のうちに読み取る、と述べています。離れて眺めるのではなく、関わりの中で捉える。つまり、関わること自体が、知る方法になります。
中村が挙げる例が、腕時計です。時刻を知るだけなら、どの時計も同じです。けれど実際には、安くてもデザインの奇抜なもの、高くてまわりにダイヤモンドがついているもの、と在り様はまるで違います。この多面性は、どんな平凡な石ころにもある、と中村は言います。相談に来た人の「眠れない」という一言も、同じです。その言葉の下に、その人だけの在り様があります。
もう一つ、中村が取り上げる諺があります。「ひとは経験によって学ぶ」を、ギリシア語から直訳すると「受苦せしものは学びたり」になるそうです。ただ何かを体験するからではなく、そこで否応なしに被る受動や受苦によって学ぶ、という読みです。この読みに、ケネス・バークが「行為」を付け加え、行為・受苦・認識と言いなおした説も、中村は紹介しています。
私は、支援者にも相手から受ける面があると思っています。それを抜きにして知ることは難しい、という読み方もできそうです。
また、中村は科学の知を「冷ややかなまなざしの知」「視覚独走の知」とも呼びます。これに対して臨床の知は、諸感覚の協働にもとづく共通感覚的な知だとされます。面接のとき、私たちは目だけで見ているわけではありません。声の調子を聞き、空気の重さを感じ、自分の体がこわばるのに気づくこともあります。知の組み立ても違い、科学の知は仮説と演繹的な推理と実験の反復で進み、臨床の知は直感と経験と類推の積み重ねで動く、と整理されています。
記録を書き換えてみる
違いを体で感じるために、架空の記録で試してみます。Aさん(架空の人物です)が「眠れない」と訴えた、というところまでは、どちらの知でも同じです。
科学の知の記録は、たとえばこうなります。
週3回、入眠まで約1時間。原因は職場のストレスと考えられる。
正確ですが、誰の記録でも同じ文になります。ここに、場所・意味・行為を書き足してみます。
- 場所:この面接室では、椅子に浅く腰かけ、終わりの時間を何度も確かめていた。
- 意味:「眠れない」は、本人にとって、明日また職場に行くことへの身構えだった。
- 行為:「どうすればいいですか」と私に向けて言ったとき、私の体もこわばった。
こうして書き足すと、記録は、その人の記録になります。そして、支援者が受ける側であること、そのとき相手や自分がどう感じたかも、記録の大事な一部です。
取り違えやすい三つのこと
臨床の知は、誤解されやすい考え方でもあります。三つ、注意しておきたい点があります。
- 科学を捨てる話ではありません。 中村の提案は、科学の知が排除したものを捉えなおす、というものでした。『心理臨床大事典 改訂版』にも、科学の知と臨床の知を過不足なく結合させることが課題だ、という話が出てきます。どちらか一方ではなく、両方です。
- 経験さえあればいい、でもありません。 中村は、経験は大切なのに、その構造がはっきりせず、働きが曖昧にされてきた、と述べています。三つの原理は、経験を見直す手がかりとして使えそうです。
- 方法を軽んじる口実にしないこと。 方法はそのまま使い、合わないと感じたときに、場所と意味と行為に戻って考えてみる。方法は地図のようなものです。地図を捨てる必要はありません。ただ、現在地は、その人と一緒にしか確かめられないのだと思います。
参考文献と、次に見るもの
- 中村雄二郎(1992)『臨床の知とは何か』岩波新書
- 氏原寛・亀口憲治・成田善弘・東山紘久・山中康裕(編)(2004)『心理臨床大事典 改訂版』培風館
新書で読みやすい本ですので、気になった方は手に取ってみてください。『臨床の知とは何か』は、岩波新書(新赤版203・1992年)の一冊です。
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この内容は、新人の支援者と経験のある心理士の対話にした動画でも説明しています。二人の声は AI の合成音声で、登場する人物と記録の例は架空です。
心理支援の考え方を、自分の面接に引きつけて考える場を、心理支援ラボで続けています。




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