父の死から臨床心理士/公認心理師がグリーフケアを考えてみた

突然の電話は、日付が変わってすぐだったと思う。そろそろ寝ようかな、と思っていたときに見知らぬ番号から着信があった。

「お父様の様態が悪く本人同意できません。延命措置に同意いただけますか。お母様の電話が通じなくて」とのことだった。「輸血が必要かも知れません… …」父の死を覚悟した瞬間だった。

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父との関係

父は数年前から肝臓癌を患っており、数週間前に入院。「危ない」とは思っていたが、一時退院の話も出ていたのでまさかこんな早くに危篤になると思わなかった。

エディプス・コンプレックスとはよくいったもので、父のことは尊敬はしていたけれども「好き」かと問われれば「好き」ではない。なんだかうまくいえないけれど、信用ならない人だったのである。

覚えているのは、幼少のころ自転車の練習をしているとき「後ろ持ってて」といったのに、谷に突き落とすごとく手を放すもんだから、案の定転んで何度も泣くことになる。

他には旅行先のボロ風呂で頭を洗ってもらっていたときのことである。何度もシャワーのヘッドが落ちては頭にあたるもんだから文句をいったら、「平気」という。万有引力にシャワーヘッドの水圧が加わった金属の打撃は凄まじく平気なわけがない。実際に、その後も頭を直撃、いや、実際には直撃する寸前に父が「パシッ!」と取った音が聞こえて、逆に恐怖で泣くことになる。

中学校受験で全部受験校に落ちてベッドで泣いてたときにはこんなこともあった。一人で伏せて泣いているとどこからともなくやってきて「平常心」とだけ単語帳の最後に書いてどっか行ってしまうのである。

臨床心理士/公認心理師として思うのは、父は恐怖や不安とか感情への共感がない。変に楽天的、強気な父とは心が十分通っているとは思えなかった。ちなみに、母はよくわかってくれる人で「これ食べたいなー」と思っていると言わなくても葬式でも目の前に好物のクレープが出てきたりする。

そんな心を通わせづらかった父だったせいか、危篤時も考えは冷静だった。突然の、急を要する「延命措置の同意いただけますか」の電話に対しても、冷静に「母に聞いてみます」と返事をする。医者からすると緊急事態でも母親に判断を仰ぐ単なる冷静なマザコンである。

いや、そうではない。楽天、強気な父は延命を望んでおらず、父がどうして欲しいかは母が一番察することができるだろう。それに後述するが、意識が無い危篤の中でどこまで延命措置をするかの判断は本人だけではなく、残された人のため、つまり母のためにあるとも思う。

病院につくと… …

取り急ぎ病院に着くまでの延命をお願いして、実家に寄り、母を起こして病院へ二人で向かった。

病院につくと、すぐに集中治療室に通される。

そこからはあっけない。主治医から現状、延命の難しさの説明を受け、目の前で心肺停止、死亡診断を受ける。ここまで5分。

奇跡的だったのは、父が心肺停止の直前、母が「今までありがとう」と耳元でいったとき、意識のないはずの父の目から涙が一筋流れたことである。

更に延命するかどうか同意する間もなく、茫然とする母と私。別れは突然である。

最初こそ母は「なぜ危篤の電話を自分が取れなかったのか」、「もっと早く措置の判断をすればよかったのかも」といっていたが、割とすぐにそのへんは「仕方がなかった」と納得できたようである。医師や看護師をはじめ、最後までベストを尽くしてくれていたことが伝わってきたからである。

霊安室では医療スタッフが献花までしにきてくれた。私たちの経験としては、この献花に来ていただいたこともグリーフケアに響いた。献花するスタッフの姿から父の闘病に尽力してくださったことが十分すぎるほど伝わってきたからである。そこに言葉はない。プロとしての姿を見た。

しかし、臨床心理士/公認心理師として「?」と思ったのは、私たちにとって、死に立ち会うことは人生最大のイベントだが、医療スタッフにとっては患者の死はほぼ毎日のことだろう。私だって父の存在が毎日の当たり前すぎて無価値化していたのに、なぜこの人たちは他人の死に真面目に向き合えるのだろうか。「病院として十分頑張りましたから!あ、その悲しさは時間が解決しますから!平常心!」という態度で、ポーンと花を投げて献花するスタッフは一人もいない。その姿に私たち家族は「医療的に最善が尽くされた、仕方がなかった」と納得できた。

この「仕方がない」と腹おちできることはグリーフケアでとても大事なことだと感じた。

平行する日常

さて、家に戻るともう朝になっていた。しかも9時から18時まで集中講義オンライン講師連続4Daysである。もちろん休むことはできたが、父は絶対に「平常心」といって授業をさせるに違いない。

今思うと選択肢はなく、普通に授業をはじめていた。受講生に感謝したいのは、あらかじめこちらの事情を説明したことで、受講生全員が熱心に講義を受けてくれたことである。「先生今日オレ寝不足ッス」って事情を知る前にいっていた学生ですら、うたた寝もせず受けてくれていた。こっちは永遠に寝てしまった父と葬式の準備のせいで完全に寝不足な4日間である。

オンライン授業のすごいところは、1日9時間弱授業をしながら、その昼休みや中休みで法要とその準備にも参加できるところである。実家にノートPCを持って行き授業を進行させながら、合間に線香をあげたり、遺影の写真を決めたり、姉や兄と連絡をとったり… … 葬式(準備)をやりながらわりと平常心で授業を進行させた日本初の大学講師なのではないだろうか。

授業には影響が及ばないようにしていたつもりだが、そんな中でも熱心な受講性には改めて感謝したい。お詫びとしては、ウケ狙いで「下は葬式準備中でさー、父親が戻って布団で寝かされてるわけよ、それに気がつかなくてケツマヅイて驚いちゃった!!HAHAHA!」という発言がもの凄いスベッたことである。「平気だよー」、「平常心」アピールしたかったのだが、みんなドン引いていたのが申し訳ない。テンドンで2回同じこといってみてもやっぱりウケなかったので更に申し訳ない。

ところで、なんの集中講義だったかというと、相手の話を傾聴する演習科目だった。「しっかり相手の話を聴いて理解する」ということは、簡単そうにみえて結構難しい。詳細な方法はまたいつか話すとして、とにかく人は自分の話をしたがる。この演習でも一通りみんな沈黙に耐えられず自分の話をしてしまう。そのメカニズムと人の話を聴くことのコツを伝える真剣な4日間である。心理士マインドを身につけたい者であれば、相手を理解すると覚悟を決めたらプロとして自分の話をしてはいけないのである。

そして迎えた最終日4日目… … さすがにみんな自分の話をしなくなった。「聴く」スキルを手に入れている。沈黙の時間だけが長くなる演習、なんなら講師の後ろからポクポク木魚の音だけが聞こえてくる時間。それでも相手が言葉を紡ぐのをじっと待つのが心理士(の卵たち)である。ちなみに、沈黙に耐えられず安易に話してしまう心理士がいたとしたら、それはそれで心理士の方がきちんと問題を解決しなければならない。そういう世界である。

そして15分の静寂を破ったのは、教員であるはずの私である。

紡いだ言葉

自分のポジションはさておき、みんなが「聴く」スキルを手に入れたので、最後に私が「父の話をしていいでしょうか」と、いいともだめとも言われずどうしても聴いて欲しくて話したのは次のようなことである。

この4日間、なんか朝起きると線一本の不安が絡みついている。それがよくわからなかった。別にもう自立して父がいなかったとしたって自分はやっていけてるし、こうして授業だってやっている。なぜ不安なんだろう。この後の遺品整理とかだろうか。なんだか違う気がする。

ところで、死んだ父にケツマヅイた話をスベったのになんでしたんだろうか。しかも2回。

やっぱりこの話も聴いて欲しかったのだと思う。もう居ないはずの父が、そこにはまだ形は居て驚いたという話。でももう本当は居ないという話。スベったもののなんとか笑いにしている自分は強がっている気もした。

そう思うと、自分は父がただ生きて居るだけで強がれていたのだとも気づいた。父は恐怖や不安とか感情への共感が下手、父とは心が十分通っているとは思えない、信用ならない… … そう反発、見下すことで、守ってくれる人がいなくたって一人で世の中の恐怖や不安に立ち向かっている気になっていた。

変に楽天的、強気なのは父ではなくて自分の方だった。無理して強気になっていた自分に気づけたこと、父とはそういう意味で心がつながっていたことの話ができて不思議なほど気持ちが軽くなったのを覚えている。

改めて人に話を聴いてもらう大切さ、グリーフケアでも同じだなと思えた。

一生懸命聴いてくれる学生の前で真剣に言葉で意味を紡いでみたがそれが正しいかはわからない。

残された家族は古いアルバムを見ながら、やれ、父が死んだタイミングがみんな割と仕事に融通きくときだったとか、死んだ日の一言カレンダーが「さらば!止めるな!」で父っぽいだの、天気が続いてるだの、父の生や死に意味を求めて思い出などを語りあっている。

しかし本当は父どころか自分の人生だって本当は地球上でそんなに意味なんかないんだろう。けれども、失ったりそもそもなにもない暗闇にある喪失感や恐怖、不安の中で自分のために尽力してくれる人がいることが献花を通して理解できたこと、そして話を聴き見守ってもらって自分の言葉で紡ぐしかない意味と安心感は自分のグリーフケアではとてもありがたかった。

これから父は一段と何もしないで見守る存在に自分の中でなっていく。直撃するシャワーヘッドからもちろん守ってくれないし、自転車操業の毎日だってもう絶対に支えてはくれない。父は「平常心」とすら書いてくれないでどっかにいってしまった… … 。

そう公園で悲嘆に暮れていたとき、ボールを持った息子が声をかけてきた。「ママが居ないと悲しいからボクもう家に帰る。パパは居なくても悲しくはならないけど」ひど!でも父親なんてそんなポジションだし、自分もそう思っていたが、実際に本当に居なくなると寂しいものだ。まだ父親の意味なんてわからない4歳児は義実家に送り、生前父に頼まれた遺品整理をすることにした。

「何かあったときには書類とか大事なものはこの黒いアタッシュケースに全部入っているから」その言葉を思い出したのだ。弱気な言葉が言えない父でも、実は母にはきちんと最後の別れの言葉を伝えていたらしい。もしかしたら、アタッシュケースには遺書なども入っているかもしれない。もう誰も使うことがない父の書斎でダイヤル式の暗証番号をゆっくり回しアタッシュケースを開ける。

空っぽだった。

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この記事を書いた人

沢 哲司(医学博士/臨床心理士/公認心理師)のアバター 沢 哲司(医学博士/臨床心理士/公認心理師) 医学博士/臨床心理士/公認心理師

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