発達障害の心の傷について

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発達障害のトラウマケアは二次障害の文脈でも語られることが多いと思います。このコラムでは発達障害への心理支援を大学発信&専門家として長く関わってきた且つ、発達障害の私自身の経験をもとに総論的な解説をします。第3回目は、傷つく事件発生前について解説したいと思います。ここからでも読めますが、一応シリーズモノですので、第一回からご覧になりたい方は次をご覧ください。
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発達障害の心の傷について

心の傷は、別にナンタラ障害、発達障害に限ったものではなく、人類一般に傷つきながら生きているわけです。情報化社会で気を付けたいのは、キラキラしたところしか見えないことも多いのでなんだか自分だけが傷ついているようにも感じます。果たして発達障害は心の傷が多いのか、それについても賛否両論ある独自の理論を後で触れたいと思います。
ところで、3回目にして早くも忘れかけていたのですが、このコラムでは心の傷と私自身のバイク事故の傷をなぞらえて論を展開していたわけです。そこで、皆様にはハインリッヒさんをご紹介します。名前からしてどこのドイツだと思いきや、アメリカ人の損害保険会社副部長です。ヒヤリハットの法則といえば、ピンとくる方も多いと思います。そう、彼は論文の中で 『一件の大きな事故・災害の裏には、29件の軽微な事故・災害、そして300件のヒヤリ・ハット(事故には至らなかったもののヒヤリとした、ハッとした事例)があるとされる (Herbert William Heinrich,1929)』と報告したのです。さらにその結果は、5000もの研究で追認もされているから驚きです。何に驚くかって、私のバイク事故ヒヤリ・ハット残数はもう残り2ヒヤリ、あるいは、3ハットしか残っていない気がするからです。つまり、次の大事故が目の前なのではないかという事実です。もちろん確率論ですから、私の場合(前記事参照のこと)、バイク購入たった一か月、初ヒヤリで曲がり切れず、初ハットに直面した瞬間に縁石にぶつかりバイクが大破していたわけでこの法則にはかすりもしません。願わくば300を一度も使っていない段階でこのような重大事故に直面したということは、神様がヒヤリハット貯金として繰り越してくださっており、まだ実は302くらいは逆に残っていることです。そうだ!ヤッター!明日からまた攻めた走りができることがわかりました!という、神経心理学的にぶっ飛んでいる発想をするあたり周りをヒヤリとさせているかと思いますが、言いたいことは次の通りです。

て発達障害は心の傷が多いのか

やっぱり、我々発達の偏りがある人は、ヒヤリ・ハットが日常の中で積み重なりやすいのではないかという仮説です。なんでも、ヒヤリ・ハット残数は300らしいので、一日忘れ物を2、3回する人は300回目に重大な忘れ物、たとえばスクールカウンセラー勤務最終日に子どもたちが一生懸命に寄せ書きしてくれた色紙を「一生大事にする!」といってそのまま学校に忘れる等のことをするわけです。確かにそのレベルに重度の忘れ物は、3カ月に1回ペースでやっているわけなのでヒヤリ・ハット残数300は割と妥当なのかもしれません。周りをよく見ていると、傘一つ、ボールペン一つとってみても無くす頻度がまったく違って忘れ物ヒヤリ・ハット残数が温存されているように思います。ここで注意しなければならないのは、「よし!明日から忘れ物しないように頑張ろう!」という無意味な決意です。もちろんその決意をして忘れ物がなくなるならいいのですが、我々はそんな決意すら次の日に忘れているがゆえに、「偏っている」わけです。そして決意にくじける部門にもヒヤリハット残数があるはずなので、そんなできもしない決意に少ない300を消耗していると、本当に大事な決意をも早めにくじけさせてしまう、くじけ癖がついてしまうはずです。そこで僕は心理士として「忘れ物」は、防ぎようがない現象の一部として受け入れていることにしています。ちょうどそれは禿げ頭と同じかもしれません。あんなものは遺伝で決まるので、本質的には抗えません。一生懸命とりつくってみてもいいですが、限界があります。また、とりつくろうほど、キャップが取れたときにギャップが生まれます。僕は、30過ぎたころからズラをかぶることをやめました。あ、これはたとえ話の方であることを注意喚起しておきます(もちろん、僕とて禿げ頭もたとえじゃなくなる40代を覚悟しているのでヘアスタイルに差別意識はありません)。とにかく、禿げかかっている頭、じゃなくて、不注意であるキャラを今は隠さず周りに最初からさらけだしているのです。そう、スクールカウンセラーなのに出勤簿の捺印を忘れ、給食費を払い忘れ、ひどいときには出勤を忘れることを日々積み重ねること。それは、「忘れ物」に基本的に厳しい学校世界の中で「発達の偏り」の先頭を専門家として歩き、後に続く何人かの小学生のためにパンくずの道しるべを落とし続けているといえましょう。ただし、スクールカウンセラーとしての仕事を生産性高くやっている自負はあるので、そのことと不注意はまぁ別の話なので、求められる仕事をやっているからこそ理解されている感覚があります。たまに、スクールカウンセラーの仕事と不注意を結び付けてくる人も極々少数いますが、そんな人とはそうでなくてもうまくやっていけないので放っておきます。だって、発達の偏りそのものは、「治す」というより「個性」として環境調整を考えるのが世の中の方針でしょう。それなのに専門家であるはずの心理士が不注意を受け入れられず自分にいいわけをする方が、結果敵に相手にも専門家らしからぬ説得力に欠けた言動&いいわけがましくなるのでその集団から疎ましく思われるように思います。治す気のない不注意の中で自分の仕事を誠実に最大限、注意深くやるだけです。すると、どうでしょう。一生大事にする宣言をした色紙は、次の日、速達で校長先生から「なんてこった!沢先生へ!不注意は心の持ちようでないことを身をもって教えてくれてありがとうございました。」という一つ増えた寄せ書き付きで送られてくるわけです。あ、でも不注意や禿げ頭は「服薬」で症状を改善できる場合もありますので、専門家とよくご相談ください。(でも、根本治療ではない 前者経験者談)放っておけばいいという話ではないです。

とにかく、傷つきヒヤリハット残数も300と考えると、我々はヒヤリくらいでいちいち傷ついてたら300回目に死にたくなりますからね。いや、昔は僕もそうでした。300回目に死にたくなることを繰り返して、100万回生きたら発達障害の心理士になってました。そんな心理士の「傷つく前の小技」を伝授してこの3回シリーズを終えようと思います。

不注意は俯注意

うつぶせと書いて俯注意。全員ではないですが、不注意な人は「考え事」をしているんです。割と本気ですが、僕は日々心理臨床のことを考えています。臨床にどっぷり俯せ状態と考えてもらっていいでしょう。なんかカッコいい。だから、他のことに注意が向かないときがあるんですよね。色紙のときだって、本当にキラキラした色紙はうれしいけど、気になるのは色紙に何も書けなかった子の反応です。「私を見捨てるのか!」といった気持ちがある子に注意を向けているのが心理士と思うんですよね。いや、正確には両方に俯瞰した注意を向けるのが立派な心理士なんですけど…。僕の場合、ある子が自由帳をやぶって汚い字で書いた「しね!ありがとう。」は持って帰ったんですけど、色紙を忘れた次第です。ここまで読んでくれているあなたは、「しね!ありがとう」を文字通り受け取る人はいないと思います。ですので、どうぞ不注意だとか、空気が読めないだとか、~~障害だとか、文字通り受け取らず、言葉のネガティブな面と同時に、裏にあるポジティブな側面も一緒に味わってみてください。少しはいちいち傷つかなくなるはずです。

環境が悪い

私はよく環境が悪いと愚痴ります。たとえば力動的心理療法をしている人は、治療的に環境より個人の心を重視しているので「カンキョウガー」と愚痴る人が少ない印象です。なんなら、発達障害という概念の適用をなかなか認めてくれないときすらあります。「自分」にとことん焦点を当てるわけですね。人を理解する視点とスポットライトの数は多くあるべきなのでなんでもいいのですが、実は僕も究極的には「自分」だと思っています。「環境」は「自分」で変えるしかないからです。未成年の場合、親ガイダンスや学校へのコンサルで環境調整をすることも多いですが、自分で環境を調整する機会は奪わないように心がけています。たとえば、置き勉。あれ、面倒なのも確かにありますが、実は忘れ物をしないように工夫している行動でもあったりします。子どもはうまく言葉がつかえないからそれを説明できないのですけど。「きちんと持って帰りなさい!」の前に一度、その可能性を考えておくと理解につながるかもしれません。最悪なのは、「あなた!机の中汚いから、失くしモノ多いんでしょ!自分できれいにして、環境調整やりなさい!」です。それは、我々にとって「忘れ物するから、忘れ物するんでしょ!」と同じ意味です。片付けられないこととセットなんですよね。声掛けのポイントは、自分で「変えられる(できているところ)」を見つけて声掛けすることですね。不注意な我々は自然と破滅的な失敗をしないように取り組んでいるところがあるのです。もう一つ例をあげるなら、必殺、俯せ聞き。一見聞いてないように思いきや、他に注意が向かないように、俯せることで話を聞いているという奥義です。「話は、きちんと前見て聞きなさい!」というより「今、なんて言ってた?」と聞いて、もし間違っていないようなら「あーそうやって聞いてるんだね。それって工夫なのかな」と理解を示す器の大きさを示す方が結果、いろいろ改善するはずです(詳しくはここでは述べませんが)。ま、少なくとも「前見て聞きなさい!」といって前向くようになるなら苦労はお互いないわけです。ひとつひとつは例に挙げきれないのですが、選択肢が少ない中で子どもはけなげに環境調整しているものです。しかし、僕は組織の中でも自由と名高い大学教員ですら窮屈で結局は起業の道を選びましたが、大人になるほど環境の選択肢は多くて子どもほど少ないのもたいへんだなと思います。大人の転職は、まぁたいへんですけど、まーあるじゃないですか。でも、大学を変えるとか、高校を変えるとか、はたまた小学校を変えるとか、生まれたての子どもが親を変える・・・どんどんハードルが上がっていきますよね。傷つきなんて、環境との相互作用の産物という側面も大きいのですから、子どもには高校卒業までとにかく耐えろ、そこから先に希望があると言ったりもすることあります。大人になれば、「ハーイ、4人グループ作ってー。アレ?サワクンが一人だよ!誰かサワクンを誰か仲間に入れてあげて!サワクンかわいそうだよ!」なんてもっともサワクンを可哀そうにするアナウンスなんかないわけですよ。あったとして、ファミレスで聞かれる「お客様、おひとり様ですか?」くらいです。遅刻だってフィリピンとかインドに行けば全く関係ないし(全員じゃないけど)、いろんな少数派は日本だけ、その学校で、環境で少数派なだけ、あなたの持っている能力は違う環境でめちゃくちゃイキイキします。なんてことは多くあるのです。それは全力で保証します。嘘と思うなら、すぐに相談を予約してください。

というわけで、本当に傷つく事件が発生する前についてコラムしてみました。全3回シリーズお読みいただきありがとうございました。よろしければ次の動画もご覧ください。不注意についてまとめてみました。

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この記事を書いた人

沢 哲司(医学博士/臨床心理士/公認心理師)のアバター 沢 哲司(医学博士/臨床心理士/公認心理師) 医学博士/臨床心理士/公認心理師

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