ギフテッド・発達に偏りのある方を教えた家庭教師が考える子どもに教えるときに気をつけていること
初めまして。
家庭教師・エンジニアのT.Kanekoです。
心理学の側面から発達に偏りのある方・ギフテッドの方といかに向き合うかのトレーニングを二年間受け、沢先生のご依頼などもありギフテッド・発達障害のお子様や学校に馴染めないお子様に、数学・物理・プログラミングを教えさせて頂いています。
その活動の中で私が「子どもと一緒に学ぶ」点で気をつけている事を、自分でも再確認しつつ読者の方にお伝えしようと筆を取りました。
発達障害または学校に馴染めないお子様や、広くは就学しているお子様の勉強という活動において、何か役立つことや気づきなどがあったら幸いです。
「ここではないどこか」としての授業
私が一緒に学んでいるお子様は、理由は様々ですが義務教育または高校に馴染めない方が多くいます。
私も学生の頃はそのような一人でした。
学生にとって学校は家庭外の唯一のコミュニティであることも多いでしょう。
そんな中、唯一のコミュニティに馴染めない・居場所がないことは、私の実体験としては小さくない苦悩でしたし、そんな子の「居場所のない不安」が大きいことは想像に難くありません。
そんなお子さんと共に学習するにあたり、私が最も大事にしていることは「今の場所以外にもコミュニティがある」ことを感じて貰うことです。
これは私がそういった子の抱えている不安を払拭できるようなコミュニティを提供するということではなく、共に勉強するという緩い繋がりの中で、学校以外にもコミュニティがあることを伝えるということです。
そんな「ここではないどこか」もあることを伝えることを前提として、一緒に学ぶ際に気をつけている点をいくつか紹介します。
教師側の「”一緒に”学ぶ」という自戒
私の授業では教師と生徒が二人で「ここではないどこか」つまり居てよい場所を醸造する事が最大の目的です。
教師が生徒に授業を理解してもらう努力も、生徒自身が授業を理解しようとする努力も必要です。
しかし生徒がその場で授業内容を理解できなかったとしても、生徒がその場に居てよい感覚が得られていれば授業は大成功だといえます。
しかし生徒は授業の時間を勉強する場として勿論捉えるので、その場で生徒自身の理解したという成功体験が、ここに居ていい感覚に繋がります。
だからこそ一方的に知識を押し付けるのではなく、一人ひとりの理解の歩みに合わせ”一緒に”学ぶ必要があります。
また教師は勉強を教えていると生徒に理解して欲しいが故に、生徒が分かっているかに関わらず、理解していると思う傾向がどうしても教える側には出てきてしまいます。
なのでこうした教える側の欲求だけを満たすような自分本意な授業にしない為に、教師の欲求よりも生徒の理解を優先する為にも”一緒に”学ぶと自らを戒めています。
生徒が授業を理解できた時はここに居てよい感覚に繋がる一方で、理解できてない時は、その事を生徒は言い出しづらい傾向にあります。
しかし本来は理解していなくても、ここに居ていいのです。
なので理解していないことを伝えて貰った時にしっかりと生徒を評価してあげる必要もあります。
具体的には「分かったか」と聞くのではなく「分からなかったか」「少し難しかったか」など、理解できていないことを言いやすい聞き方をし、理解できていなくても問題ない事を伝えます。
また理解できなかったとしても生徒は質問をしにくいもので、手が止まるだけの時があります。
なので生徒の挙動や表情から理解度を推測し、理解していないようだったら「どの辺が難しいか」など声掛けをするように心がけています。
子どもも一人の人として尊重する
生徒を”子ども”というカテゴライズだけで見れば、どの生徒にも同じ教え方で良いはずです。
しかし実際は授業の理解の歩み方や速度も、興味の分野も個人個人それぞれ異なります。
だからこそ”子ども”というカテゴライズで見るのではなく一人の人として尊重し、それぞれの歩みに寄り添い、教え方を変える必要があります。
また学習への意欲を高めるためにも、一方的に知識を与えるのではなく、何を学びたいか、何を目標にするか、課題を一緒に合意しながら決めるようにしています。
何故ならば生徒の能動性が更に学習意欲を高め楽しさを得ることができると考えているからです。
教え方で注意している点
ここまでは教えるに際しての姿勢や意識の話が主でしたが、ここからはそれよりは具体的な注意している点を、個条書き的に書いていこうと思います。
まず私自身が教える知識に興味を持っていることや、物理や数学を楽しんでいることを伝えるようにしています。
例えば物理理論の歴史的発展を興味深く感じていること、数学公式を美しいと感じてること、プログラミングが如何に便利かということ。
なぜこのようにするかというと、生徒自身が今はつまらないと感じているものでも、私という一人の人間には興奮に値するものだとは感じてもらえ、多からず生徒自身も興味を持ち、能動的に学ぶ姿勢になると考えているからです。
次に間違う機会を奪わないこと。
問題に対して間違った解答をするということは、生徒自身が能動的に考え答えを出したことを意味します。
繰り返しになりますが私は能動的な姿勢が学習の喜びに直結すると考えています。
なので間違う機会を奪うことは能動性を削いでしまうので出来るだけしないようにしています。
具体的には答えに導くためにヒントを出すにしても、細かくヒントを与え間違う余地を残すなどです。
終わりに
以上が私が生徒と”一緒に”学ぶに際して気をつけている点の一部です。
私が授業させて頂く際は一回目にヒアリングさせて頂いています。
そこで何を学ぶのか、目標を何にするか、授業ペースなどを話し合い設定します。
また随時、授業の節目にこれらを設定し直します。
こうすることでもまた生徒の歩みに寄り添った生徒自身の能動的な学習の手助けになると考えています。
以上、この文が何か役に立ったり気づきが得られましたら幸いです。
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